日々のできごとvol.20

石巻市「おおもりや」の話

 

 平成15・16年ごろのこと。合併前の松浦市議会・議会運営委員会の視察で石巻市を訪れた。視察を終え、石巻市役所の車で石巻駅前の昼食会場まで送ってもらい、食事を済ませ徒歩で石巻駅まで向かおうとしたところ、外はひどい雨。玄関ホールで立ちすくんでいると、店のおかみさんが「そこにある傘を使ってください。駅に置いておいてもらえば後で取りにいきますから」と、やさしく声をかけてくれた。駅までの距離はせいぜい100m程度だが、走っていくには覚悟がいる雨だったのでとても有難かった。

 

 時は流れ、そんな出来事もすっかり忘れていた平成23年3月11日、東日本大震災が発災。ニュース映像を通して大津波が石巻市を襲い、多数の犠牲者と壊滅的な被害をもたらしたことを知った。
 そして、発災から一カ月ほど過ぎた頃、津波で家族を亡くした被災者の心情を伝える新聞記事を読み、あの店は大丈夫だろうかと気になった。

 

 そんなある日、当時の視察に議会事務局職員として随行していたM氏が被災地支援の第一陣で石巻市に派遣されたことを知り、派遣から戻った彼に被災状況を尋ねてみた。M氏曰く「駅前も津波の被害は受けているが、人命には影響なかったのではないか」と教えてもらい、少しだけ安堵した。

 

 震災の翌年、松浦水軍まつりで石巻観光協会の皆さんが特産品の販売をされていることを知り、ブースでの物品販売や横断幕を掲げてのパレードのお手伝いをさせていただいた。そこで知り合った同協会の阿部事務局長(現常務)から、そのお店が「おおもりや」であることを教えてもらった。

 

 震災後、石巻市を訪問する機会は二度あったものの、「おおもりや」に行くことは叶わず、昨年(令和4年)の水軍祭りの際、石巻観光協会の後藤会長や阿部さんに「機会があればあの時のお礼を言いたい」と話したら、「来年は石巻の川開き祭りが百周年を迎えるので、是非ご招待しますよ」と言っていただいた。これで行くきっかけはできたものの、さすがに祭りに参加するだけでは難しいかなと思っていたら、その2週間後に行われた長崎県原子力防災訓練で、視察に訪れていた内閣府の職員に鷹島のような場所が他にあるのか尋ねると「石巻市にある」と教えられ、これはきっと何かの思し召しだろうと、原子力災害対策重点区域の視察を兼ねて石巻市を訪問することとなった。

 

 令和5年8月4~6日、念願叶って石巻市を訪問。石巻駅の改札を出ると「歓迎・松浦市友田市長」のボードを掲げて後藤会長や阿部さんらが出迎えてくれた。再会を果たし握手を交わしていると、阿部さんが側にいた女性を「おおもりやのおかみさんです」と紹介してくれた。きっと私の訪問目的の一つを酌んで、事前に声をかけてくれていたのだろう。おかみさんは私が勝手にイメージしていた年齢よりも随分若い方でちょっと驚いた。
 自己紹介程度の挨拶を交わした後、石巻市危機管理課の担当者と合流して牡鹿半島へ向かい、原子力災害対策重点区域の視察を行った。

 

 翌日、川開き祭りに出店されたまつうら観光物産協会のブースに立ち寄ってスタッフの皆さんを激励した後、石巻市内の復興状況を視察し、昼食で「おおもりや」へ行ってみた。震災前は一階に客席があったように記憶していたが、再建されたお店は二階が店舗になっていた。これも津波被害の教訓なのかもしれないが、もし震災前もこうだったら、玄関ホールで雨に困っていた私たちにおかみさんが気付くことはなかっただろう。
 階段を上り店内に入ると、丁度昼時で多くのお客さんで賑わっていた。しばらくするとおかみさんがみえたので、改めて前日の出迎えへの感謝と震災前に傘を貸してもらった事へのお礼を伝えることができた。

 

 震災の復興支援をきっかけに始まった石巻・まつうら両観光協会の交流は、毎年相互のお祭りに出店して祭りを盛り上げ、友好の絆が年々深まっている。発災後、ずっと気になっていた案件を12年掛けてようやく解決することができたのも、この交流をスタートさせ、途切れることなく友好の絆を育んでいただいている両観光協会関係皆さんのおかげである。
 改めて、関係皆さんに感謝すると共に、今後もこの素晴らしい関係が続くよう、私も出来る限り支援していきたいと思う。

 

(令和5年9月22日)

まつうら観光物産協会ブース

まつうら観光物産協会ブース

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更新日:2023年09月27日