日々のできごとvol.19

成人式の思い出
 
 

 昭和39年3月生まれの私が成人式を迎えたのは、昭和58年。前年の春に大学へ進学し、入寮時に住民票を北九州市に移していた。
 
 記憶は定かではないが、成人式の案内は北九州市から届いていたと思う。旧知の友人との再会があるわけでもなく、その成人式ではなく出身地の成人式に出席しようと思っていた。しかし、出身地からの案内状は来なかった。

 現在、本市を含め多くの自治体では、本人の住民票が無くても家族が居住していれば成人式の案内を送付しているようだが、当時私の生家には届かなかった。これは決して役所がミスしたわけではなく、私の出身地の特殊な事情によるものだと推察している。

 私の出身地は町の境にあり、国道を挟んだ反対側は別の町だった。しかし、生活圏はその町であり、私の生家がある自治会は戦前からその町の小中学校に通っていた。ただ、学校で自治会毎に振り分けられるときは「町外」という扱いだった。

 今思えば、私はもとより家族も町の住民では無く、案内状が来ないのは当然なのだが、三つ年上の姉はその町の成人式に出席していたし、私にも来るものだと思い込んでいた。

 町側にどのような事情があったかは分からないが、案内状が届いていない成人式に参加するほどの気概が当時の私には無かった。

 成人式当日、生家で時間を持て余していたら、昼頃玄関のチャイムが鳴り、スーツ姿の同級生数人が訪ねてきた。「何で成人式に来んやったとや?」、「案内状の来とらんとさ」、「えーっ、そうやったと」。短いやり取りの後、「この後、〇〇で同窓会のあるけん、お前も絶対来いよ」と誘ってくれた。

 大学入学時に父親に買ってもらった3ピースは持っていたが、今更スーツで行くのも気が引けてセーター姿で出かけたところ、「大学生って感じ」と女子達に冷やかされた。

 会場で懐かしい面々に再会し、近況報告などで盛り上がり、中学時代の恩師のところへ挨拶に行くと「おい、成人式には出らんといかんぞ」と叱られた。

 事情を話すと恩師は理解してくれたが、成人の日を迎えるたびにあの時の恩師のことを思い出す。

 その町も現在は市町村合併で一つの市になり、私のような思いをする若者はもういないだろう。


 成人式は一生に一度だけ訪れる人生の節目。昨年、成人年齢が18歳に引き下げられ、役所内でも成人式の対象者を何歳にするか、20歳を「新成人」と呼称すべきかなど、様々な議論を経て、今年から「二十歳の式」として開催し、233人中、160人が参加してくれた。

 対象者の呼称は「二十歳人」と書いて「はたちーず」本市の造語である。口にするには少々小恥ずかしいが、これは慣れてもらうしかない。本市では来年以降もこう呼ぶのだから。


今年二十歳人・はたちーずを迎えた皆さん。おめでとうございます。

 コロナ禍で何かと不自由の多い中、大切な時間や機会を奪われ、苦しい日々が続いたものと思います。しかし、それによって何気ない日常の素晴らしさを実感できていることも間違いありません。

 そのことが分かっている皆さんだからこそ、これから迎える予測困難な時代を力強く切り開いてくれるものと信じています。

 はたちーずの皆さんの人生が希望に満ち溢れ、ひとり一人が個性を活かして、輝かしい未来を歩まれるよう心からお祈りいたします。


(2023年1月10日)

令和5年二十歳の式集合写真

令和5年二十歳の式集合写真

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更新日:2023年01月10日