日々のできごとvol.13

10月4日に長崎大学病院で前立腺がんの摘出手術を受け、10月21日から公務に復帰しました。この度の入院に際しまして、市民の皆様をはじめ、関係各位に多大なご心配とご迷惑をおかけしたことを心からお詫び申し上げます。

今回、私が体験した病気の発見から手術、術後の経過について、体験したからこそ分かったことをこのブログに綴ることにしました。少々長くなりますが、興味がある方に読んでいただき、ご自身やご家族の健康について考えていただく端緒となれば幸いです。

病気が見つかったきっかけは、昨年12月中旬に受診した人間ドックでした。年末に届いた検査結果とともに、前立腺の異常を示すPSA値が基準を超えているため精密検査を受けるよう紹介状が同封されていました。しかし、特に自覚症状がある訳でもなく、インターネットで「PSA値」について調べてみると、この数値が高いからと言って必ずがんだという訳ではないという記事を見つけ、「じゃあ自分は大丈夫だろう」と思い込んでしまいました。自分にとって都合の悪いことを過小評価してしまう「正常性バイアス」が働いた訳です。

直ぐに精密検査を受けようとしなかった理由がもう一つあります。それは、紹介状はあっても、精密検査を受ける病院を自分で探さなければならなかったという点です。「自分は大丈夫だろう」と思い込んでしまうと、病院を探してまで行こうとはしないものです。

年が明け、公務に追われる中で精密検査のこともすっかり忘れていたある日、演出家の宮本亜門さんが前立腺がんを公表され、「2年前の人間ドックで再検査の通知を受けていたが、仕事を優先して病院には行かなかった」と報道されていたのを目にして、自分自身の姿と重なり「念のため精密検査だけは受けておこう」と思い立ちました。

4月中旬に泌尿器科がある病院を調べて佐世保の病院へ行きました。結果は直ぐ判るだろうと思っていたら、これが大間違い。最初の診察は持参した紹介状を確認した上での問診と触診だけで、詳しい症状を判断するには2日間ほど入院して組織を採取して調べる生検が必要と言われました。

スケジュールを調整して生検を受診したのが6月初旬、約2週後には初期の前立腺がんであることが判りましたが、他の臓器や骨への転移が無いかを調べる検査に更に1か月を要して、7月下旬に「前立腺がんで他への転移は無い」と診断されました。

この時、がんと診断されたにもかかわらず、正直なところ大きな動揺はありませんでした。これは正常性バイアスの仕業ではなく、「患ったのなら治療するしかない」という意思が勝ったのだろうと思っています。

主治医の先生から治療方法について説明を受け、いくつかの選択肢の中から「術後最も早く仕事復帰が出来る」という理由で、通称「ダビンチ」というロボッ手術を受けることにしました。(「ダビンチ」について書きだすと文字数が更に膨大になるので、興味がある方は検索してみてください。)

県内でダビンチ手術が出来るのは長崎大学病院だけということで、佐世保の病院で紹介状を書いてもらい、8月下旬に長大病院を受診しました。ロボット手術は順番待ちの状態で2か月ほど待たされ、10月3日に入院、翌4日に手術を受けました。

手術当日は午後1時半ごろに病室を出て手術棟まで歩いて行き、テレビドラマで見るような手術室がずらっと並ぶ光景を興味津々で眺めながら手術室に入ると、側面に「da Vinci」と書かれた、まるでゲームセンターのシミュレーションゲームのような装置が2台ありました。「これがダビンチかぁ」と思って覗き込んでいたら、ベッドに横になるよう促され、点滴の管に「今から麻酔薬入れていきます」と言われたところまでは覚えているのですが、その数秒後には全身麻酔で眠りに落ちていました。

悪い夢から覚めるような感覚の中、「友田さぁーん、はい、無事終わりましたからねぇ」という先生の声で麻酔から覚めた時には既に手術が終わっており、ストレッチャーに乗せられ病室に戻ったのが午後6時過ぎ、病室を出てから5時間ほど経っていました。

ロボット手術はお腹に小さな穴を開け、そこから内視鏡や手術器具を入れて行われるため、出血や体への負担が少なく術後の回復が早いそうです。因みに、お腹の傷は5か所、内視鏡の入り口となったおへその上の傷だけは3センチ程ありますが、残りの傷は1センチ程しかありません。手術当日の夜、お腹の傷や患部がひどく傷むことはなかったのですが、何より辛かったのはベッドのマットが合わず腰が猛烈に痛かったこと。これには本当に参ってしまい、翌日固いマットに交換してもらいました。

手術翌日の朝、ベッドに寝たまま動かないと血管内に血栓が出来て命に係わることもあると言われ、体に数本の管を付けたまま病棟内を歩く訓練を課せられました。小さな傷とはいえ、腹筋を5か所切られているため、さすがにベッドから起き上がるのには少々苦労しましたが、歩くこと自体はそれほど苦にはなりませんでした。

術後の経過は順調で手術の翌々日に点滴が外れ、その翌日にお腹の中に貯まる血液などを排出するドレーンの管も外れました。

最後まで残ったのが「難敵」の尿道カテーテル。手術から4日後に投影検査を受け、異常が無いことを確認して外してもらいました。痛みなどは全くありませんでしたが、処置していただいたドクターも看護師さんも全て女性で、非常に複雑な心境でした(お察しください)。

尿道カテーテルが外れると、前立腺を摘出した後遺症で尿漏れしやすいという問題が起こります。これを防ぐために、お尻の穴をキュッと締めた状態で10秒程度維持する運動と瞬間的にキュッと締める運動を1セットにして1日10回行う「骨盤低筋群運動」のトレーニングが必要となります。私の場合、手術前からそのトレーニングに励んだ結果、術後1か月でその症状も殆ど気にならない程度に改善しました。

手術から5日目の朝、担当のドクターから「最も順調なケース」とお墨付きをいただき、6泊7日の入院生活を終えて無事退院することができました。その後、約一週間の自宅療養を経て公務復帰を果たし、現在は体調も万全で何ら支障なく公務に復帰できています。今後も経過観察のため定期的な検査が必要ですが、自分の健康を過信せず、体調管理に務めていきたいと思います。

11月5日には術後1か月の検診を受け、摘出した前立腺の病理検査の結果、がんは前立腺の内部に留まっており、前立腺の外への転移は無かったことが判りました。

あの時、宮本亜門さんが前立腺がんを公表されていなかったら、私はきっと今でも病院を受診しておらず、病状が更に進んでいたかも知れません。そのような意味では宮本亜門さんは私の命の恩人とも言える存在であり、今後作品が近くで公開された際には、是非伺ってお礼を申し上げたいと思っています。

今回、このブログで私の病気について書こうと思った理由は、私が宮本亜門さんの報道に接してがんの早期発見ができたように、このブログがどなたかの役に立てばと思ったからです。長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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更新日:2019年11月18日