宮本家の懸仏(みやもとけのかけぼとけ)

市指定有形文化財・工芸品 平成21年9月30日指定

宮本家の懸仏の画像

 日本在来の神は、もともと神像をもたなかったが、仏教の流入とともに神仏習合の思想が進み、インドの本地仏が神として仮に姿を現すという本地垂迹説の広まりとともに、垂迹美術が生まれてきた。垂迹美術には御正体、神像等があり、御正体には鏡像と懸仏がある。御正体とは、神本体の意味である。懸仏は、鎌倉から室町時代にかけて多く見られ、県北一帯でも多数発見されている。
 当懸仏は、木版の中央に阿弥陀如来坐像を、左右に花びんをそなえ、下方に波文を彫っている。外区に花形を飾り、両肩に獅噛の鐶座が取付けられている。裏面には縦書きで、「寔天文二二年乙未 六月廿八日 大旦那源尚順 御子孫繁盛 弓箭自在 願主神左衛門 敬白 時住持謹律師快念(下方に横書き)」と銘文が墨書してあり、天文4年(1535)に製作されている。
 もう一つの無銘の懸仏は、やや厚めの銅板の裏に杉材をあて鏡板としている。尊像は薬師如来で鏡板に固定し、水瓶と獅噛座も銅鋳造で鋲留めしている。鎌倉時代後期の作である。
 これらの懸仏は、明治の廃仏毀釈以前に現在地にあった本光寺に伝えられていたもので、明治の初めに廃寺となり、宮本家が引き取られ現在に至っている。
 当懸仏は、市内でも古い懸仏で製作年代のわかる貴重な資料である。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 文化財課

〒859-4598
松浦市志佐町里免365番地

電話:0956-72-1111
ファックス:0956-72-1115

教育委員会 文化財課へお問い合わせ

更新日:2019年04月01日